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2010年9月10日金曜日

それでもぼくはやってない

『それでもぼくはやってない』

一回見たことあったけど、改めて見たら刑事訴訟法の勉強になった。かな?
本当に難しいなと思った。

前に見たときは哲平がしてないっていう視線で見て裁判官や検察官に憤りを感じてた。

けど、
女の弁護士が最初に痴漢冤罪の弁護を嫌がったこと、
裁判官が被告人に騙されるのを恐れること、
検察官のプライドから有罪にしたがること、
被告人や被害者にとっては人生をかけた事件だけど弁護士や裁判官にとっては担当するいくつもの仕事のうちの一つだってこと、
とかいろいろな立場があってどの立場に沿って見るかで全然見え方が変わってくる。

すっきりしないなぁ

2009年12月17日木曜日

サルバドールの朝

『サルバドールの朝』

スペイン内戦時代、フランコ独裁政権に抵抗した若者たち。そしてそれを武力で封じ込める政府、警察。スペイン語以外は禁止されていた。サルバドールも、政府に立ちむかったそんな若者の一人。MILという組織で、「絶対に捕まらない」というグループの理念のもとに銀行から資金を奪い、さまざまは活動を繰り広げた。最初は波に乗って銀行強盗もうまくいき資金も回っていたが、警察にも目をつけられ、だんだん苦しくなる。そしてある日計画が失敗し、サルバドールはもみ合いの最中に警官を銃で殺してしまう。当時の「警官殺し」に対するイメージはとても悪く、彼のもともとの立場もあって、弁護活動はなかなかうまくいかない。担当弁護人は自分のイメージが悪くなることも承知で、全力で彼を弁護。しかし残酷にも死刑執行の命が下る。執行まではあと12時間。その間にフランコや法務大臣に恩赦を取り付けられれば彼の命は、市民の希望は救われる。胸の中の、今にも消えそうなかすかな希望
の火だけを頼りに、なんとか精神状態を保とうとするサルバトール。電話を受けて駆け付けた3人の姉妹。弁護士協会で電話をかけまくるよう指示する担当弁護人。立場上なにも言えないのがもどかしく、サルバトールを見つめる刑務所員。冷酷な顔で彼の墓地の有無を姉妹に尋ねる係員。そして、一人、留守番をさせられた、サルバトールを慕っていた幼い妹。
無情に過ぎる時間。いつもと同じような朝が来る。のに、そこで彼は独裁政権最後の死刑者となる――
その数時間の描写が何よりも重く辛かった。ピストルで人が殺される。死刑で処罰される。人の命の重みは同じ。でも、自分の死、目の前の人、家族、兄弟の死の瞬間を知りながら迎えることがこんなにもやりきれないものなんて。もう二度と生きたこの人の体に触れることはできない、声も聞くことができない。思い出も作れない。死を待つ人は必死に生きようとする。その気持ちを知って、でも自分には命が残されていて、でも何もしてあげられない。命を奪おうとしているのも同じ人間。その流れを止めることはできない。法に従う限り。
そういえばこういうことに直面したことがないんだと思った。すごくショッキングで、涙が止まらなかった。単純に、死について。そしてこのような時代背景や死刑という制度について。言葉にならないけれど、すごく苦しかった。

2009年9月22日火曜日

money money money

Mamma Mia!

見てました、さっきまで。今中断してた!
これはね、去年の夏、トロント行ったときに、Rainbow Theaterでは毎週火曜日にたった4$で映画が見られるってことで見に行った作品。Miss BUNNY とかもやってたけど、これが良かったんだー仲良くなったトルコからの留学生誘って、日本人の子も一緒に、わざわざ上映時間(確か21時とか)まで学校の終わったあと、暇つぶして(おたがいたどたどしい英語で)、やっと見られた・・・っていう懐かしい思い出いっぱい。
あの時はONLY ENGLISHだったから、
今字幕つきで見ると、知らなかった内容が理解できて、
意外とストーリーしっかりしてたんだなって思った。

この映画に関してはほんと細かいこと抜きで、
楽しくなれる!
から大好き。
サントラまで買っちゃったくらい。
主人公の女の子がちょーーーかわいいし。
ナチュラルで元気いっぱいで、でも時々おとなっぽいかわいさに魅かれる^^
でも設定では20歳らしい! 
わーーー



Mamma Miaではお母さんがすごい苦労してホテルを経営して、娘を一人で育ててた
この前みんなで話してたときに、
お父さんはお金を稼いでくるからやっぱりすごい
って話も出た

今日とか、素敵なところに行ったときにふと思うのは
やっぱりお金を稼ぐってすごいんだなーってこと。
なんか働くっていうことが身近に感じるようになってきたからかもしれないけど、

どんな労働に、どれくらいの価値があって、どれくらいお金をもらえて、そのお金でどんなことができるのか。
ってわかんないよ。
今日の食事の全員分のお金を払うとか、
家を建てるとか、
学校に行けることとか、
考えたらすごいお金が必要なんだね。
当たり前のことだから、ほんとにいまさらなんだけど。
でも、
それを人間一人で持ってくることできるんだね。

大昔の社会のことならなんとなくイメージできる。
みんなが何かを生産してた、作ってた。
物々交換は、たいていの場合同価値のものと交換するでしょ
それか相手が欲しいもの。
交換する何かをみんな持ってた。
あ、相手が欲しければ価値は上がるのか。
欲しいものでもありふれていれば価値は下がるのか。
うん
で、お金が出てきても基本的に同じで、ちょこっと間接的になっただけ、かな。

で、なんで今になるとうちが理解できないかっていうと
目に見える物を生産してる人は少ないから。
サービスとか。
物でも、直接作ってそれを売るんじゃなくて組織に入ってたりして、すべてを一人で作りだすことなんてほとんど無理でしょ
で、そのよく目に見えない労働に対して、
その価値を誰かが決めて、
結果的に
人生が営めるくらい
そして贅沢もできるくらいの
価値の分だけのお金がもらえる

って不思議だと思いました。
昔からサービスに対してお金を払うことはあっただろうと思う。
助産士さんとか。
たぶん占い師とかも。
でも、今はなんだかごちゃごちゃと複雑すぎて、
でも社会で役立つことで、自分も生かされるっていうのは
言葉にすると仰々しいし、当たり前なんだけど
今までそんな深く考えたことなかった

この夏休み、たぶんすごく多くのお金を使わせてもらって、
考えたこと。でした。

おーわーりっと
さて、お風呂はいって、続き見よー……と