2011年3月18日金曜日

なんでもない!

前に読んでわかんなくて放置してた違法性の意識の可能性のとこがショケン読んで少しわかった。

違法性の意識がなかったとしても、行為者が現に犯罪事実を認識認容しているなら、違法性の意識を喚起して反対動機の形成が可能だろう。
そして、故意の本質は、規範に直面して反対動機の形成が可能だったにも関わらず、あえて犯罪行為に及んだことに対する強い道義的非難だから、
違法性の意識は責任故意の要件ではない!
もっとも、違法性の意識の可能性すらないときは上記の非難も不可能だから、違法性の意識の可能性を責任故意の要件とする⇒制限故意説。

反対動機の形成可能=違法性の意識の可能性てことらしい!

で、たぶんだけど、違法性の意識の可能性を独立の責任要件とする責任説(山口)は、そもそも構成要件的故意を考えない説だから、なのかも?

あと、刑法総論まっぷを作った。

刑罰の中の自由を剥奪する、懲役、禁錮、拘留のうち、作業に服さなければいけないのは懲役だけ(12Ⅱ、13Ⅱ)なんだーって見てて、
たしかに、3つの定義は自由を剥奪する刑罰 
でも、自由もそうだけど、時間とられるんだよね、2年とか3年とか。1か月でもつらい。
時間て有限で大切なんだなぁて思った。


あした、地震以来二度目の外出。
何事も起こらないといいな。
「地震っていう、人間にはどうしようもないことがこの世にはあるのに、どうして人間は人を殺したり、戦争をしたりするの??? どうやっても防げないことがあるのに、どうして防げることを我慢できないんだろう??」
っていう16年前の冬に強く思ったことを、
今日の朝刊の相変わらずの一面の地震報道の並びにリビア内戦の見出しがあるのを見て思い出しました。

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