2011年3月31日木曜日

メンタル

同じ状況でも、悲観的になりすぎないこと。
そのほうが結果も出る。
精神衛生上はもちろん、人間的にも魅力出る、はず!と思う。


たとえば去年の今頃、きむぜみの代表始める前とか、もちろん不安はあったけどわくわくも大きかった。
メディアコム入試のときも、落ちたらやだっていうより受かりたいって気持ちが強かった。
もちろん緊張も不安もあったけど、自分の全力だった。

過去の自分の成功体験にひたったりうっとりするのは、その過去を越えられない気がするし、そんな人はあんまり好きじゃないし、かっこわるいからやりたくないけど、
でも、
今の自分が忘れてしまってた大切なこと、それで気持ちがぐしゃぐしゃしてた部分もあった気がする。
前向きなことを考えられず、立ち止まってる気がして、情けない自分。(だから昨日は会いたい人に会うのが怖かった。実際、会ってみて自分の生活を省みた。)


他人を気にしない、自分の絶対的な基準を自分の中に作る
よく言われることだけど、私が理解しやすい例えを昨日もらった。
成績をとるときも、誰かに負けたくないから、誰かより少し多く頑張ればいいや、とかではなく
常に自分の最大限を心がけること。
人に左右される行動指針の、なんて不安定なの!!
自分自身の最大限に頑張ったら、きっとだいじょぶなはず。
その裏付けを今までやってきたはず。
それを信じて。


どれもこれも当たり前なこと。
文字にすると、ふーんよくあることねってこと。

でも、自分が忘れてたことで、それを突き付けられると、
当たり前のことほど根本的なことだから、
思い出せてよかったなって書いておきたくなった。

だから、
もう今日で3月は終わりで明日からは新年度なわけだけど、

この選択をしたのも自分自身。
好きで選んだ道。今度起こる全てのことの責任は自分にある。
だから、私自身の全力で。!!!!!!
と自分の脳みそと心臓にきざんでおきたい!

2011年3月30日水曜日

夏休み Lawの過去問 
春休み 旧試の過去問
解く。

今日は退学届け出す。
いよいよ腹くくり。

2011年3月20日日曜日

Present!!

ありがとうございました。
超かわいい。
グロスー!!きゃー おんなのこぽいー!!

幸せ。
感動!!!!
ほんとにすてきなお二人。
来年、自分も余裕ある人でありたいな、とつくづく感じました。

2011年3月18日金曜日

なんでもない!

前に読んでわかんなくて放置してた違法性の意識の可能性のとこがショケン読んで少しわかった。

違法性の意識がなかったとしても、行為者が現に犯罪事実を認識認容しているなら、違法性の意識を喚起して反対動機の形成が可能だろう。
そして、故意の本質は、規範に直面して反対動機の形成が可能だったにも関わらず、あえて犯罪行為に及んだことに対する強い道義的非難だから、
違法性の意識は責任故意の要件ではない!
もっとも、違法性の意識の可能性すらないときは上記の非難も不可能だから、違法性の意識の可能性を責任故意の要件とする⇒制限故意説。

反対動機の形成可能=違法性の意識の可能性てことらしい!

で、たぶんだけど、違法性の意識の可能性を独立の責任要件とする責任説(山口)は、そもそも構成要件的故意を考えない説だから、なのかも?

あと、刑法総論まっぷを作った。

刑罰の中の自由を剥奪する、懲役、禁錮、拘留のうち、作業に服さなければいけないのは懲役だけ(12Ⅱ、13Ⅱ)なんだーって見てて、
たしかに、3つの定義は自由を剥奪する刑罰 
でも、自由もそうだけど、時間とられるんだよね、2年とか3年とか。1か月でもつらい。
時間て有限で大切なんだなぁて思った。


あした、地震以来二度目の外出。
何事も起こらないといいな。
「地震っていう、人間にはどうしようもないことがこの世にはあるのに、どうして人間は人を殺したり、戦争をしたりするの??? どうやっても防げないことがあるのに、どうして防げることを我慢できないんだろう??」
っていう16年前の冬に強く思ったことを、
今日の朝刊の相変わらずの一面の地震報道の並びにリビア内戦の見出しがあるのを見て思い出しました。

2011年3月17日木曜日

おっと

履修なめてた!汗

2011年3月12日土曜日

一夜明けて。

昨日の今頃は田町にいた。
昨日の午後、巨大地震が日本を襲った。

私はたまたま説明会で朝から学校にいて、その時間は学校前のベローチェの一階にいて、先輩二人に履修の話を聞いてた。そしたらぐらぐら横に揺れだして、地震だ、て思ってからもずっとおさまるどころか揺れが強くなって強くなってからもとても長く揺れていたので、お店の人が出口を確保して「外に出てください」って指示を出したらいっせいに中のおじさんたちが外に飛び出した。
天井のライトが揺れてた。
先輩が「あせんないほうがいいよ。大丈夫だよ」ってずっと言ってくれてた。
外に出ても何かふってくるかもしれないし、とか焦りながら思って、結局出る前におさまったからまた開始した。
しばらくたってまた揺れた。
二回目は周りはちょっと落ち着いてたけど、これもなかなか長かった。
スマートフォン情報から、千葉が地面割れてるとかお台場が火事になってるっていう写真を見た。そのときはよくわからなかったけど、このときすでに東北地方は大変だったんだと後から知った。
そしたら京都のいとこから電話が来て無事だよって伝えてから、我にかえってセンターにメールを問い合わせたら大量にたまってた。
それからあとは学校に一人でもどってロースクールの校舎に先輩たちといた。
まだきれいな校舎だからみんな雑魚寝してた。
何より水も電気もネットも使えたから何も不自由なかったんだと思う。
交通は確かに不便だったけど、でも信号が動いてて秩序が大きく乱れたりしてなかったと思う。

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一人だったら、電車にいたら、いろいろなことを想定するととても幸運が重なって大きな混乱に陥らずに済んだと思う。
何より周りに常に親しい人がいたことが長時間を乗り切るとき精神的にとても楽だった。
元気な人、落ち着いてる人、しゃべる人、聞く人、いろんな人がそれぞれ各自に周りに気を遣って過ごしてたと思う。

揺れた後は夜までずっと地震酔い(?)っていうらしい、頭がぐらぐらする感じがして体が震えてた。
妹は家に一人でいて泣いていたみたい。
家族もみんな各自ばらばらだったけど、早々に無事が確認できたから安心だった。

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東京はあんまり危機感がないんだなって思った。
ただのハイテンションな感じだった。
何もなかったからよかったんだけど。
ニュースとか、新聞の太い白抜きの見出しとか見ると本当につらくなる。目も心も奪われる。
ありきたりだけど、”日常”がいかに貴いか、自分が過ごしている、人間が営んでいる地面って、文明っていかに危ういのか、いろんなことを緻密に組み合わせてるけど根本の自然には勝てないんだなぁって感じた。
自分はこうして帰宅して普通に過ごせているのだから、早く明日から自分の生活リズムを取り戻そうと思う。帰宅してから5時間くらい爆睡して起きてご飯を食べてニュースを見ただけだけど、また寝ます。

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<日ごろから持っておくと便利だと思ったもの(ロッカーにいれとくもの)>

・ウエットティッシュ
・予備コンタクト、めがね、コンタクトケース
・お菓子
・携帯の予備の電池!(電池がないと使えないただのぷらすちっくのかたまり)
・マスク
・常備薬
・袋

・ひざかけ
・歩きやすい靴
・マスク、カイロ、箱ティッシュ
・お水、お菓子
・生理用品

<思ったこと>
・twitterは生の情報が入るのでとても便利
・人の言葉って思っているよりも暖かく感じた
・事実を伝えるよりも混乱させないほうが大事。(メールするときに、送る側に余裕があるならば気をつける。)
・人から聞いた情報、感想よりも、自分が見たこと聞いたこともしくは公開されてる正確な情報がほしい
、伝聞の伝聞は疑ったほうがいい